文化祭は後の祭り

なんだか友人達が文化祭の思い出についてつらつら述べてたようなので自分も便乗。
文化祭ねぇ…たしか去年の九月にやったはずなんだけど
なにも思い出せない
思い出すのは夏休みのことばかり。アレ?記憶喪失?
とりあえず高校一年の時の文化祭から思い出すか…

事前知識

自分の高校は男子校
変人ばっかりだから変なことをしても平気

一年

一年生のとき、自分は正規の委員ではなくスタッフで参加してた。
後に正規の委員になったけど。
当時はペットボトルをひたすら洗ってた記憶しかない。
しかもそのペットボトル、制作物につかう資材なわけなんですが
量を集めすぎた上に洗いすぎた。
地球環境の改善に貢献した。
正直言ってこの年の文化祭はよくもったと思う。
少ない人員。予想すらしなかったハプニング。
汚点が多いので文化祭当日は思い出したくはない。
でも尊敬できる多くの先輩とも知り合ったし、たくさん経験も積んだ。
少数だったからこそ一人あたりの経験値は無駄に高かった気がする。

二年

文化祭が終わった直後に引き継ぎが行われたのでそのときから二年次と定義する。
とりあえず幹部を集める。
一年のときの参加メンバー(抜けた人もいるけど)+有志で発足。
「誰が委員長になるか」で責任のなすりつけ合いに。
結果、「二年に進級できたらやりますよ」と言っていたS氏がなる。
前回に引き続き制作部に。
前回のノウハウのない部署に行ってもどうしようもないと思ったし。
とりあえずだれがどこの部署に行くか決まった後でゲートのデザイン案の話に。
「千本鳥居」…千本作れねぇ
東京湾景」…海は作れねぇ
東大寺南大門」…彫り物が複雑すぎる
「レインボーブリッジ」…封鎖できねぇ
 etc…
協議の結果「ウェスタンスタイル」に。
…今思えばコレって具体的なものじゃない。スタイルって何だ?
西部劇に出てくる酒場をイメージ。
コレの案を自分が押したのは(提案ではない)
色を塗らなくていいから
木の質感を生かせるから
という理由から。
そういえばどデザインとかって制作部で決めたものじゃなかったんだよな…(懐)
他にも色々話し合った。
四月始業式。自分は二年に進級。
人員が少なかった前回の反省を踏まえ、始業式に新入生に対する文実勧誘を敢行。
ビラ作りには自分も参加したっけ…
一年生がクラスでのHRを終え、ゾロゾロ出てきたところで勧誘開始。
…明らかに自分より年上に見える怖そうな新入生達。
ハヤクイケ」と目で訴えてくる委員長S。
五十人近くが集まる→狂喜乱舞実委室の備品破壊→委員長S「切腹しろ」
資材があらかた集まったころ、id:fsbc氏から図面が届く。
五月…六月だったかな?自分はいわゆる帰宅部。皆は部活もち。
大会がせまるこの時期には動けるのはほとんど自分一人と一年生わずか。
一人と数人で黙々と骨組みを組み続け、一ヵ月後ほぼ独力で骨組み完成。*1
この一ヶ月が本当にキツかった…。
夏休み突入。
一年生も毎日のように制作に参加してくれて嬉しかった。六月は一人だったし。
思えばこの夏休みが最も充実していたやも知れない。
後輩から学ぶことも多く、先輩後輩を超越した関係を築いていた気がする。
上下関係とか気にしなくていいのが文実のいいとこかな。
個人的な意見だけど高校生なんてほとんど大人なんだからある程度敬語とか使ってれば
年齢とかどうでもいいと思うんだよね。自分よりいいアイデア持ってる奴もいるし、
先輩だから、後輩だから気が引けるってのは
ひとつの目標に向かって進む共同体としてやっていけないと思うし。(会議とか)
話が飛んだ。
そしてゲートやら何やらを制作時、最も後輩に発したセリフNO.1に輝くのは
俺を信じろ!
口ではこう言っていたが内心は
ヤヴァイってコレ、絶対崩壊する
駄目な先輩でした。
人員が集まらない日もあった。
制作部長氏と二人っきりで作業。
三時間壁の部分にあたるベニヤ板を釘で打ちつけながら
サイレントヒルメタルギアソリッドについて話す。
普段がうるさいだけに寂しかった。

巨大布製壁画作成時は屋上で作業。
熱いんじゃぁあぁえぁあぁ!
絶叫とともに上半身裸に。触発されたようにその場にいたほぼ全員が脱ぐ。*2
甲羅干しを始めた委員長S。
背中に「巫女」の落書き。*3
九月に入り、テンションとストレスは限界に。
みこ巫女ナースといった電波ソングあらん限りの声で絶叫
文化祭実行委員会不認可制作部公式テーマソングに。(大嘘)
ネジ山」という単語になぜか笑いが止まらない。
脳内麻薬全開。
暴走を続ける制作部。
頭を抱える委員長S
当日はほとんど他の部署のサポートだったので前日までが自分らの仕事。
前日に「良くやったよ俺たち」みたいな会話をする中
ポツリと「何やってたんだろ俺たち
当日は他部署のメンバーの活躍によって大きな問題もなく二日間を終えることができました。

自分の部署のことでもないのに親身に話を聞いてくれた幹部達、

一緒に暴走した制作幹部達、

理不尽な命令にも文句のひとつも言わずに作業してくれた後輩達、

今さらだけど

おつかれさん

後輩達へ

あんまりカッコいいこと言えないけどなんか書いてみるわ。
…やっぱり文実って楽しくってなんぼのモノじゃない?
自分制作部だったから制作部のことしか言えないけど、
難しいこととか考えるのは後にして自分達がやりたい
突拍子もないアイデアとかをどんどん出していってみたら?
作ってて楽しいもんじゃなきゃ作りたくなかった。
ウェスタンスタイルとかステージバックのデザインとかも
「コレならやってて楽しそう!」
って物にしたと思う。
ゲートの中の装飾もほとんどテンションとノリで設計図もほとんど無しで作ったものが多かった。
結果的に失敗作はたくさん生まれたけど、その分洗練されたものがあのゲートの中には残ってた。
…失敗作はほとんど俺が作ったんだけどね(笑)
「できるかできないか」は二の次で、
「作ってて楽しいか楽しくないか」が大切なんだよ、きっと。
君達には君達の計画が今から色々進んでいってると思うけど、
「やってて楽しくないこと」は計画しないほうがいいよ。絶対行き詰まるから。
まとまらないけど言いたいことはこんな感じかな。
でもいくら「楽しそう」だからって構造計算書を偽造してはいけませんよ。
倒壊したら元も子もないし。

姉は☆建築士
〜アブナイ構造計算〜←エロゲっぽくね?

*1:一年生は木の組み方から覚えなければいけなかった

*2:共学なら良かったのに…

*3:今でも彼の背中には「巫女」の文字が描かれている。