一年以上ブログ放置してたわ!

 ブログの存在を思い出したのでちょっと息抜きがてら記事を書いてみようと思う。
2chのまとめとかでしょっちゅう出てる「なぜガンダムSEEDは叩かれるのか」について俺なりに考えた。
誰かの考えとかぶっててもご愛嬌。スルーしてね!あとあんまりガンダム詳しくないんでね!

 思うに、ガンダムSEEDは作品の「設定」に遊びが少なすぎたのだと思う。
ガンダムシリーズはリアルロボット路線の作品として有名だけれど、意外と「リアル」ではない。
人間ドラマ、戦争の描き方等(宇宙世紀とかね)はリアル路線だけれど、肝心のロボット的、SF的な部分は結構いい加減だったりする。
ハマーンは気合でビーム跳ね返すし、アムロも気合で隕石跳ね返すし、気合で死んだララァと会話する。
「説明不可能なサイコパワーでなんとかなった!」みたいな感じのシーンが宇宙世紀の作品には1シーンぐらいはあると思うんだ。
いわゆる平成ガンダムも「なんだかわからんがすげぇ強い!」みたいなのはあるわけだ。
Wガンダムシリーズの装甲がやたら硬いとか、ゴッドシャドー、月光蝶である!トランザム量子化

 では、ガンダムSEEDはどうか。なんだかわからんけどすげぇ!みたいな「設定」が存在しないように思える。
いわゆるサイコミュを操る能力も特別なものではないし、スーパーコーディネーター(だっけ?)っていうニュータイプに類する概念も遺伝子改良の結果として発現しているわけだしね(誰もが思うだろう!君のようになりたいと!)。
とにかく設定が理詰めで作られていて、遊びの入る余地があまりない。
だから、叩かれるんだと思う。〜はおかしいだろ!あの場面では〜みたいな。
理詰めってのはアニメ云々に限らず、矛盾があったりするのは許されない。
でも、理論ってのは反対意見が出るのが当たり前。アニメっていうエンターテイメント性を強く持つものにはあんまり親和性が高くないのだ。
いい加減って言い方は良くないかもしれないけど、遊びが少なくなるから、いわゆる後付でストーリーや演出を補足できなくなる。

作品全体のテーマや設定は面白いと思うし、MSもかっこいい!ゲイツ最高!
だけど、ガンダム特有の「主人公たちの持つ特異性、神性」を論理によって一生懸命説明しようとしたのが駄目だったんじゃなかろうか。
SEEDの主人公はなんだかわけわからん行動原理だし、ヒロインの言動は破綻している。そういう破綻した行動、発言を行っていないキャラクターはガンダムシリーズで相当数いる。しかし、SEEDはそういった「ぶっ飛んだ発言」が許されない作風だ。なのに、いわゆるガンダム的なセリフを喋らせちゃったのが叩かれる最大の理由じゃないだろうか。